人類史上最大のベストセラー、それは『聖書』。
カトリックの幼稚園に通っていました。
小学校を卒業する時、記念として幼稚園から『聖書』をプレゼントしていただきました。
昔は時おり聖書を開いては、何気なく読む、ということもありました。
しかし、ここ10年以上手にしていなかったことに気づき、ふと本棚から取り出してみました。
パラパラとめくり
そうでしたそうでした、この言葉の流れが聖書だなと思っていたところ
線が引かれている箇所を発見。
しかし、線を引いたことにまったく記憶が無いのです。
20代の頃の私が引いたのかもしれません。
マテオによる福音書 第6章の最終段落の最後の文章。
「明日のために心配するな。明日は明日が自分で心配する。
一日の苦労は一日で足りる。」
解説では、イエスは将来への予備と働きを禁ずるのではない。ただ摂理への信頼を裏切らせるほどの思い煩いを禁ずる。と記載されています。
マテオによる福音書 第7章の最初の段落の文章。
「さばかれたくないなら、他人をさばくな。
ひとをさばけはそれと同じように自分もさばかれ、
ひとをはかれば、それと同じはかりで自分もはかられる。」
解説では、「さばく」は証拠もなしに隣人の行いを非難する判断をいう。と記載されています。
20代の私は、イエスの言葉が心に響いた、あるいは導き支えてくれるものだったのだと思います。
子供から大人へと立場は変わり、社会の一員としての働きや役目、そしてプライベートでは恋愛が大きなウエートを占めてくる時期。
思い悩み、ふと開いた聖書に答えをヒントを慰めや癒しを求めたのだと思います。
私はクリスチャンではありませんが、大いなるチカラの一つの面としと
「父と子と聖霊」を信じています。
難しいことは少し横においても、優しさや温もり、勇気を与えてくれる存在として
「聖書」は世界中でベストセラーになっているのではないでしょうか。
私は、お釈迦さまからの教えやお言葉も、日本古来の神道の神さまからの教えやお言葉もすべてが大好きで、尊いものだと感じています。ムスリムでも、助け合う心は素晴らしいと感じます。
日本は八百万の神さまがいらっしゃる国です。
日本人のDNAが、自然とすべて受け入れる器を与えてくれているような気がします。
世の中の争いは収まることが無く、平和などというものは手の届かない遠い遠いもののように見えますが、誰もが必ず持っている「魂と心の中にある幸せの種」を発芽させて、少しずつでも成長するその命を、いつの日か大輪の花へと咲かせるために、笑顔をたやさずにいたい、あなたの笑顔を見続けていられますようにと。
私は、ただそう願っているのです。
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