1987年、上智大学在学中『川べりの道』で文學界新人賞を受賞するという、彗星のごとく現れた女流作家 鷺沢萠(さぎさわめぐむ)をご存知でしょうか。
鷺沢萠氏は、35歳と言う若さで衝撃的にも自らの人生に幕を下ろしましたが、彼女が残した文章は「言霊」となって、何年何十年経とうとも私の心に突き刺さり、そして私を奮い立たせてくれるのです。
『海の鳥・空の魚』 は1992年の作品。
若かりし頃、一人で入った喫茶店でこの本と出会いました。
お店に置いてあリました本を何気なく手にして、ふと開いたページ。
この作品が発表されてからもう30年も経つのかと、しみじみ思いながらこのブログを書いています。
当時の私は、なぜか本文よりあとがきに記された言葉に強烈に心を奪われたことを昨日のことのように覚えています。
神様は海には魚を、空には鳥を、それぞれそこにあるべきものとして創られたそうだが、そのとき何かの手違いで、海に放り投げられた鳥、空に飛びたたされた魚がいたかも知れない。
エラを持たぬ鳥も羽根を持たぬ魚も、間違った場所で喘ぎながらも、結構生きながらえていっただろう。
海の鳥・空の魚<あとがきにかえて>抜粋
もっとも、そこにあるべくしてある連中に比べれば何倍もやりにくかっただろうけれど。
そうして、「やりにくかった連中」にだって「うまくいった一瞬」はあったはずだとわたしは思うのである。
上記はあとがきの抜粋ですが、あとがき全文を読んだことで
漠然と生き方に迷い悩み、いつも喉に魚の骨が刺さっているような感覚で過ごしていた私に、迷うことも悩むこともそれで良いんだよと優しく声をかけてもらえた
そう思えた瞬間でした。
人は常に何かを求め、足りないものを探し生きているように思うことがあります。
自分で自分を探し求めているような、到達すべき場所・あるべき場所を求めているような。
私は、鷺沢氏が紡ぎ出した色褪せることのない言葉の一つ一つを、あなたにも味わってほしいなと思います。
うまくいった一瞬などというものは、人生の中でほんのわずかなのでしょう。
膨大な時間の中の一瞬。
でも、それで良いのだと私に教えてくれた、と解釈しています。
私があなたが、海にいる鳥や空にいる魚だとしても
一緒に、喘ぎながら笑いながら生きていきませんか。
そして最後に、鷺沢萠氏へ。
あなたの残した作品は、たとえあなたの姿が見えなくとも、あなたの言葉は消えない形を残し、昭和・平成を越え令和の時代に入った今でもなお光り輝き、強く柔らかく生き続けているのです。
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